【活動報告】ウェブディレクター・ライター開始12か月目

深夜のだらだら記事です。純粋に請負業務としてライティングを始めてから1年が経過しようとしていますが、慣れるどころか色々と思うところがあり、迷いが生じて動きが鈍っています。

動きを鈍らせる悩みとか、先月の活動報告記事です。

11月の活動

総評としては何とか12月末振り込み分として正月のモチ代位は稼げた、という感じ。今月も仕事が入ってきたのできちんと仕事ができれば引き続き1月分も何とかなるでしょう(慢心)。

11月はメイン業務が少し回復したこともあり、ライティングと合わせてどうにか年内の収入は確保できました。クライアント様曰く、10月は増税のせいでヤバかったみたいですが11月は多少回復したとのこと。ただしどんなに楽観的に考えても増税以前の数字には戻らないでしょうね。

本業はともかくアフィリエイト事業の方が落ち込まなければ請負業務でライティングをする事もなかったのですが、ここ数カ月は本当に仕事のやり方を考えなくちゃいけなくて、人生の転機を迎えている感がビリビリします。6年前に会社を辞める決断をする前みたい。

いま請け負っている仕事は最終的に自分のキャリアやブランディングに繋がるのか?などと、考えながら作業する日々です。

忘年会で感じた事

月末には少しや早めの忘年会に参加しました。場所は二週間ほど前に渋谷に出来たばかりの渋谷スクランブルスクエア。

さほど高いビルではありませんが、渋谷駅周辺が見渡せるオシャレスポットでした、メッチャ人多い。

忘年会に呼んでもらって社長様や専門家の方々と色々話をしていて感じたのですが、やはり呼んでもらえるだけの仕事をするのが大事ですね。主催者のコンサルさん以外とは面識がなかったので紹介してもらいましたが、何からの「ウリ」がないと仕事機能を提供できないのでその場にいる意味がない。

フリーランスや小規模事業経営者にとって時間は命ですから、会社員時代に繰り返されたような社交辞令だけの付き合いはありえません。かと言ってガツガツ売り込みするというわけではありませんが、お互い何らかの仕事(業務)を提供出来る人が集まってチャンスが来た時に協力するという感じですね。

ホントに人の縁は大事、信用は命です。

二つのスタイル

こういったビジネスマン的なムーブとは別に、自分自身を不特定多数に向けてブランディングして仕事を取る方向性も検討しています。

11月にはオタク系のYoutube動画も一本アップし、コメント返し等のフォローをした結果チャンネル登録者が少し増えました。この調子で動画を上げていけばそのうち、企業の目に留まってライティングなどの仕事が得られるかもしれません。何とか年内で1万チャンネル登録を達成したい!

※過去に一度ソシャゲの会社から声をかけてもらい、実際に会社に出向いて話をしたことがあります。実現しませんでしたけど。

この二つのムーブをバランス良く取り入れていけば、より単価の高い仕事が出来るのではないかと考えています。

コンテンツが命だと改めて考えた

まがりなりにもライティングの仕事をしていて、しかも雑多なジャンルで書いている自分としては文体や文章について色々と考えざるを得ません。今後もライティングで食べていくので悩みは深いです。

少し前に図書館カードを作った際、文芸の棚から昭和の有名エッセイストやコラムニストの作品をチョイスしましたが、やはり圧倒的な文章力があります。本当に格調高い。私を含むウェブメディアの記事とは比べ物にならないレベルでまさに段違いです。

ただしそのコンテンツ自体は非常に身近なものです。自分の駅弁の食べ方とか気持ちよく目覚める習慣とか、決して「知って得する」とか「伝える」系の内容ではありません。文章や文体そのものがコンテンツなので「読者が知らない事を伝える」機能が弱いと感じたのはただの負け惜しみではないと思います。

このような昭和の名手に比べてネット時代の書き手は「知らせる」事に特化しており、文章も非常に平易なものが多いです。既に文芸は廃れて久しいですし、実際売れている書籍をみると、どれもウェブメディアでも通じるような平易な言い回しで書かれています。

つまり文章力と言った時に昭和の「作家」的なものが書けなくてもいい、というか書いても読者が拒否反応を起こす可能性が高い。実際ウケていないし。個人的には昭和の作家的な文章力が欲しいですが、持っていても使う機会がなく無駄という事です。

多分誰もが情報発信できる世の中になったせいでインテリゲンチャとしての文筆業の価値が下がったのでしょう。思い返せば読者に色々と伝える、教えるというスタンスでエッセイを書いている大作家であっても、そのジャンルの専門家ではないのです。

だから「文」章の「芸」を求めるのは、ごく一部のマニアだけといわざるを得ません。もしかしたら俳句とか和歌のようなジャンルに近いかもしれない。

例えば開高健のエッセイは今でもぐいぐい読ませますが、2019年においてはオーパのようなコンテンツには中途半端感があります。今だったら絶対に書籍の企画として通らないはずです。

文芸のパワーで装飾されていない、一時情報に近い「もっと本当の事」はいくらでも手に入るからです。ぶっちゃけ海外YouTuberのガチコンテンツの方が価値があると思う。開高健の小説は別ですけど。

つまりウェブライター業は作家やエッセイストやコラムニストとは違うという事です。

読者は知りたいことを能動的に探します。検索エンジンやサイト内検索で発掘されるのがウェブライターの成果物です。つまり読者が知りたがることを先回りして準備している書き手の方が受け身だと言えます。SEOライターが検索順位を気にするのは見つかりやすい位置を確保するためです。

しかしインターネット以前「作家先生」の時代では情報を発信できるメディアが限られているので、読者が100%受け身なのです。だから書き手は格調高く「先生」スタンスになる。どんなに無頼系で売り出していても。

ちなみにこの昭和時代から読書習慣がある人は「作家買い」をしますが、若い世代はしません。これは出版社の分析です。

もちろんこれは乱暴な分け方で両者の間にグラデーションがあるのは当然です。特定のライターの記事が読みたいからウェブサイトやSNSアカウントをフォローして更新情報の通知を受けるのですから。

以上の考えから導き出した結論として、身につけるにはセンスが必要で習得コスパの悪い文章力無しで、どうやって記事のクオリティを担保するかといったら、コンテンツ性しかありません。

斬新な切り口や分析、知見、新情報です。これらが読者に響いてみんなに知らせよう!となった時にSNSなどを通じて拡散されてバズる。

まず間違いなく文章力<コンテンツの関係です。

そんなわけでだらだらと書きながら自分の思考を整理していますが、作家業ではなくライター業をするのならコンテンツが命だということ。文章力は最低限のルールさえ守れていればさほど大きな問題にはならないと私は考えます。

何か読者に対して有益な情報を発信する事を通じて自分を認知してもらい、仕事につなげる。

今後の方針をまとめると上記の一行で済む話ではありますが、作家や文章力といった「文章の専門家」や旧来の価値観に劣等感を抱えながら仕事をしているとパフォーマンスが落ちるので一度腹落ちするまで考えてみました。

こうするとライティングの敷居が下がったように感じる人がいるかもしれませんが、コンテンツ性のある知見を維持するには強力なゲシュタルト構築能力が必要で、組み合わせのパーツとなる情報を大量にもっていないといけません。

個人の頑張りとか修練がすぐに結びつかないのがコンテンツ力なのです。

もっとも多くのウェブライターが書いているSEOライティングはまた別です。SEOライティング+分野の組み合わせでないと意味がありません。コタツライター的なリサーチだけで記事を書く方法もあるかと思いますが、実務経験があればなお良いですし、まったく知識が無いのなら関連分野の書籍を大量に摂取して一気にゲシュタルトを作るだけのマメさが必要だと思います。

ライティングの仕事はこれからも途切れることはないかと思いますが、仕事領域によっては競争が激しくなると予想されます。

頭一つ抜けて記事をお願いされる立場になるためにはやはり高いコンテンツ性と自己ブランティングが必要でしょう。

いやはやホントに世知辛い!

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