空の境界を文学作品として考察してみたら凄くシンプルだった件

オタクジャンルの記事のサンプルとしてお気に入りの作品を取り上げてみた。

今やfateやFGOの爆発的ヒットで誰もがその名を知ることになった伝説のサークル TYPE-MOON (通称:型月 )。

その中心となるのが小説家、奈須きのこ(以下きのこ)である。

2001年に同人誌として発表された空の境界は月姫と並ぶ最初期の代表作だ。

本作は時系列がシャッフルされていたり、性別を誤解させるような叙述トリックが仕込まれていたり、説明なしの「伝奇要素」が盛り込まれていたりと、かなりテクニカルな作品である。

しかし不思議な魅力があり多くのファンの心をつかんだ。

そして発表から5年が経過した2006年から2009年にかけて、なんと全7作にもわたるハイクオリティな劇場アニメまで制作された。商業出版されたのではなく同人誌上がりの作品としては異例中の異例である(現在は講談社から出版されている)。

ただし全国公開はされておらず限られた劇場でしか上映されなかった。まさにロイヤリティの高いファン向けである。筆者も新章が公開されるたび電車に揺られてテアトル新宿まで足を運んだものだ。

空の境界の魅力と難解さ

このようにカルトな人気を誇る空の境界だが、実はなぜ魅力的なのか、その理由をキチンと話せている人は少ない。管見の限りでは膝を打つようなレビューを見たことがない位だ。

その理由はいくつも考えられるが、最大の要因は難解な設定にあると思われる。シナリオの正しい時系列や型月世界共通の設定を把握するのが作品理解だと誤解されているフシがあるのだ。

実際、空の境界や「空の境界 考察」で検索しても、シャッフルされて上映された作品を時系列順に並べたり、型月作品世界に共通する設定について解説したものばかりが目に付く。

例えば空の境界に登場する蒼崎橙子は「月姫」で登場する魔法使い・蒼崎青子の姉であり、fateシリーズに登場するロード・エルメロイことウェイバー・ベルベットが所属する魔術協会の最高位である「赤」を授与されているが、人形師として封印指定されて逃げ回っている、といったものだ。

正直、型月世界を把握していない人にしてみれば何のことかわからないだろう。筆者も自分が把握している情報を書いてみるととんでもなく入り組んでいるな、と思う。

このようにきのこの作品には断片的にしか語られない共通設定があり、独特の空気をまとっている。根源の渦や魔眼などチラチラと垣間見える世界観は型月作品の魅力の一つだ。空の境界もまたそのような設定が見え隠れしており、fateシリーズやFGO、月姫とも緩やかにリンクしている。

だからテレビアニメのfateやソシャゲのFGOをきっかけに型月を知った新しいファンは設定を読み解くのが空の境界の楽しみ方だと思うのだろう。

しかし空の境界単体で見れば、こんなにわかりやすいビルドゥングスロマンはないと思うのだ。作品が解説してもらわなければ把握できないほど複雑化したのは商業的に成功して派生作品が増えたせいである。

ちなみに型月のメジャーヒット作fateがエロゲーとして生まれたのは2004年。空の境界より3年も未来のことである。

だからfateのソシャゲであるFGOの最高位レアキャラ(星5)である孔明ことロード・エルメロイ(初出はアニメ化されたスピンオフ作品のfate zero)が、アニメ化されたfateのスピンオフ作品である「ロードエルメロイの事件簿」で 空の境界に登場した蒼崎橙子と絡むなどといったリンクは後から増えたオプションである。

こういった情報に基づく作品理解のやり方は空の境界を理解する妨げとなる。型月世界に詳しくなればなるほど見えなくなるだろう。

またもややこしくなってしまったが、このくだりに限ってはこのブログ記事にたどり着くようなファンならたやすく把握できているはずだ。

そこでいったん、設定とか作品ごとの関係については放っておこう。

空の境界のテーマは一言で言い表せるような極めてシンプルものだ、だから強い。しかし言葉にすると陳腐になってしまう。だからこそ何重にも謎と設定で隠されている。。

隠されているからこそ、みんながたやすく到達できないからこそ、謎の魅力を発しているのだ。

空の境界は少女の成長の物語である

両義式

空の境界の主人公は誰かと問われれば、まず間違いなく誰もが黒桐幹也と両儀式だと言えるだろう。二人が様々な困難を乗り越えて結ばれる物語として読むことが出来る。

しかし、それは違うのだ。そこは重要ではない。

黒桐幹也はあくまでも両儀式にとって「自分を変化させてしまった異性」として理解すべきだ。そして能動的に動いているのが両儀式である以上、物語の主人公は彼女の方である。

彼女を主役として、彼女の心境の変化にフォーカスすれば謎はすぐに解ける。

当初、 両儀式 という女の子の体には式(シキ)という女の人格子と織(シキ)という男の子人格が同居していた。これは性差の意識が薄い子供の特徴の見立てである。男の子と同じように活発に振る舞う女の子も多いものだ。

ところが変化が訪れる。

式(シキ)という女の子が黒桐幹也(コクトー)という異性を意識したことが原因である

つまり男の子のことが好きになってしまったのだ。この感情は彼女にとって好ましいものではない。これまでの自分が変わってしまう事に対する嫌悪感や恐れの葛藤があり、遂には男性人格である 織(シキ)はいなくなってしまう。

交通事故で昏睡状態になり目が覚めたら 織(シキ)がいなくなっていた、という展開がコレだ。

作中でも刃物片手にコクトーを追いかけまわし、結局は「お前が死ななければ自分が死ぬしかない」と言って自動車に身を投げた男性人格の織(シキ)、自身を破壊衝動といっていたがまさに支離滅裂である。

これは少女の成長という見方をすれば、二次性徴によって体が女性らしくなることによる違和感や嫌悪感、恐れ、恥ずかしさ、今までに感じたことの無い恋などの複合的な情動の表現であり、きわめてヒステリー的だ。

そしてこういった表現を男性作家が書けてしまうというのは、もう才能というしかないだろう。きのこ作品にはずっしり重く生々しい女性がたびたび登場するのだ。

そして男性人格である 織(シキ )がいなくなったことで女性人格の式(シキ)は葛藤するものの、蒼崎橙子という 大人の女性と接点を持つことで成熟し、遂には完全な女性になることを受け入れる。

最後は紆余曲折あって男の子と結ばれた、めでたしめでたし。

これが身もふたもない空の境界のコアの部分である。

腕に仏舎利を埋め込んだ天台宗の密教部門のお坊さん(荒耶宗蓮)とチャンバラしたり、ベイブリッジを曲げたり、幽霊を叩ききったり、根源の渦と接続したりするのはテーマの枝葉の部分であり、すべてはこの「こっぱずかしいテーマ」の偽装であるとすらいえる。

この偽装の部分の伝奇要素は極めて魅力的だ。しかも他作品とリンクし広大な世界観を持っているせいでより重層的になり、20年たっても容易に破れない程の成功を収めている。

しかし入念に封印されてはいるものの、超強烈なテーマのオーラは隠せない。

何故か説明できないけど、式ツンデレかわいい、空の境界メチャクチャ面白い、アニメのクオリティ凄い、アクションかっこいい、音楽凄い、雰囲気凄い、名作だ!という形で声が上がるのも当然のことだ。

何しろ式のツンデレシーンは強烈だ。

空の境界では繰り返し様々な表現で婉曲的に式が好意を示すシーンがあるのだが、もう砂糖を吐きそうなくらい甘々である。

個人的にはストロベリーのハーゲンダッツを巡るシーンやコクトーが式に捨て猫の世話をさせるシーンが気に入っているのだが、のちに二人を演じた声優が本当に結婚したというニュースを見た際、謎の納得感があったくらいのやり取りなので是非見てほしい。

まとめ

以上、オタク的なデータベース消費ではなく文学作品として空の境界を扱ってみたが、そう言われれば!という読者も多いのではないだろうか?

凄まじい速度でコンテンツが消費されている現代、ただクオリティが高いだけのカルトアニメが20年もの長きにわたってファンに愛されるとは考えづらい。ひと月に数十億の売り上げを叩き出すビッグビジネスとなったFGOでも空の境界とのコラボイベントが復刻している。20年前の作品と何度もコラボする経済的合理性があるのだ。

こういったロイヤリティの高いファンがつく作品の場合、必ずどこかに簡単に消費できないようにする仕組みがあると考えるのが妥当である。

空の境界の場合、そのコアの部分がいまだに言語化されていないから謎のフックとして機能しているに違いない。

長くなってしまったので最後にTYPE-MOONキャラクターが総出演するドラマCD「アーネンエルベの一日」で発せられた両儀式のセリフで締めくくろう。

「オレ、『空の境界』を伝奇だなんて思ったこと無いぞ。あれはポエムだ。人生のある時期にしか許されないポエムだだ漏れテキストだよ」

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