インターネットは自分が見たい世界が生成される天の世界

インターネットは自分が見たい世界が生成される天の世界

ウェブライターを始めてあと少しで3か月。ライティング作業の一環としてかつてないペースで調べ物をしているうちに、とある事に気づきました。

人は見たいものしか見ないし、見る事が出来ない。

検索エンジンやSNSをはじめとするインターネットはその傾向を助長しています。

ちょっと宗教チックかもしれませんが、認知=世界について書いてみます。

検索意図と検索結果

インターネットを使う上で、検索した事がない人は、もはや存在しないレベルに達していると思われます。

しかし、検索した結果が自分に有意義なものであるか、といったら疑問を感じることでしょう。

何故なら自分が検索した意図に沿う記事ばかりがピックアップされるからです。

悪口を見たければ悪口が集まったサイトが出てきますし、褒めたたえる記事が見たければ褒める記事が出てきます。

ググれカスどころか、ググッてもカス状態になっている検索クエリは数多いです。

検索エンジンが、検索者の読みたい情報を上位にピックアップして並べ替えてくれているせいで、検索者の望まない(けれども正しい)情報が見えづらくなっているのです。

もちろん、これは基本的には望む方向です。

グーグルがコレがいい記事だと一元的に決めているわけではないからです。

最終的に管理し、並べ替えるのはグーグルですが、そのパラメータは利用者一人ひとりの積み重ねです。

つまり、どうしようもないゲスでゴシップ記事が出てきたとしても、それは検索者の多くが望んでじっくり読んでいるから上位にピックアップされています。

検索エンジンの順位は検索者の投票なのです(選挙管理委員に中立性があるとして)。

これって「自分が重要だと思うもの以外は認識できない」という人間の認知の仕組みに似ていますよね。

世界を自分の大事なもの順に並べる機能が自我の定義だという説に従えば、検索エンジンは検索者が大事だと思われる順に情報を並び替えているのですから、かなり自我に近い機能を持っていると言えます。

自分が見たい世界が生まれるインターネット

天の世界、というのは仏教でいうところの六道から持ってきたキーワードです。

六道を実体視するか否か、という仏教学的な問題はさておき、この記事では何でも願いが叶う世界という意味でのふんわり定義で捉えてください。

インターネットの世界では自分が望んだ情報ばかりが見えます。

自分の認知の外の情報が手に入りづらいのです。

大量の情報があっても、知っている事知りたい事しか知りえない。

能動的に思いもよらない情報を知ることは出来ません。

会社が辛いと思っている人は、会社が辛い情報ばかりが出てきますし、ランサーズが稼げると思っている人は稼いでいる情報ばかりが出来ますし、ランサーズで詐欺にあった人はランサーズの地雷クライアントや地雷ランサー、詐欺案件の情報ばかりが出てきます。

検索エンジンだけでなく、Twitterは更にヤバいです。

似たような意見の人ばかりをフォローすると、どんどん先鋭化して他所の世界が見えなくなります。

自分のタイムラインは自分の見ている世界そのもの。

自分の世界は自分の認知の限界ですから、定義上、その外に世界があるなんて思いつけません。

願いのパラドックス

そして、お金を稼ぎたいと思えば、稼げていない自分が生まれ、人助けをしたいと思えば、助けなくてはいけない不幸な人が生まれるようです。

まだ成功していないからこそ、成功したいと望むのですが、成功したいと思えば思うほど成功していない自分が生まれてしまうパラドックス。

だから、この自分が何者かになりたいとか、何かをしたいのなら「既に自分がそうなっている状態」と考える必要があります。

願ってはダメ!

多分、これがアファメーションの原理なのでしょう。

これが分からないままに、自分が幸せだと言えば幸せになれるとか、願えば叶うといった、表面だけのスピリチュアルな言説が広がって、ただの暗示だとか嘘の自分だからますます不幸になると誤解されていると思います。

呪文呪語ではないのですから、言葉それ自体に意味があるのではなく、言葉が発せられたシチュエーションや文脈に意味があるのです。

ライターとしてインターネットという天の世界で生きる上で、私自身がもっと言葉に敏感になりたいですね。

 

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